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ページ (ISBN : 4167660989) ¥ 円 ギャラ3億円の売れっ子芸人が、ブーム終焉とともに再びどん底へ。お笑いで一世風靡した「島田洋七」の自伝。
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1972年、団順一とコンビ結成。その後、上方よしおとコンビを組み直す。 若手実力派の最右翼として評価も高く、島田紳助も素人時代に島田洋七に憧れて洋七の師匠・島田洋之介に入門したという。しかし、東京進出に対する2人の意見の相違から解散。
1975年、島田洋八とコンビを結成する。当時、バラエティー番組のレギュラー出演がならなかった事で、大阪での活動に限界を感じ、1979年、東京進出には消極的だった吉本興業を離れ、東京の漫才協団に加入。浅草松竹演芸場の他新宿末廣亭等の寄席に出演するようになった。
1980年、『お笑いスター誕生!!』での10週連続勝ち抜き初代グランドチャンピオンとなった。これらの活躍により1980年代初頭の漫才ブームの火付け役となり『ツービート』『ザ・ぼんち』『のりお・よしお』『紳助・竜介』らが後に続いた。
当時、既に『星セント・ルイス』が人気を得ていたが、アイドル的人気を得てブロマイドが売れるという現象まで引き起こし一気に追い抜いた。同年、人気お笑い番組の総合司会を務めるなど、一世を風靡した。
『笑点』のチーフ作家・遠藤佳三は「B&Bの東京進出がなかったら、若手漫才ブームは、もっと小さなもので終わっていただろうと思う」と語っている。
1981年、「たけし」「明石家さんま」といった人気タレントに押されて、人気が急降下する。1983年には「B&B」を解散。人気低迷・参議員選落選・土地がらみの問題で借金を残すなど、苦難の時期を味わい、一時は芸人引退を決意するが、「たけし」「島田紳助」に励まされ「B&B」を復活させる。
その後は、コツコツと仕事をこなしながら、1987年に自費出版した「佐賀のがばいばあちゃん」が2003年頃からブレイクし、全盛期の輝きを取り戻す。「がばいばあちゃん」シリーズは日本国内だけで540万部を超える大ヒットとなった。
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