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ページ (ISBN : 4532165849) ¥ 円 日本の戦後歌謡界を代表する作曲家。演歌師をしながら独学で5000曲以上を世に送り出した「遠藤実」の自伝。
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新潟特有の門付けという演芸スタイルが、後の作曲家人生に大きな影響を与えた。(門付けとは、越後獅子等の芸を民家の軒先で披露し金品を貰う習慣)
第二次世界大戦時に新潟県にて疎開生活を送っていて、1949年、17歳の時上京。様々な職を経て、ギターを携えて流しの演歌師になる。1956年、作曲家としてデビュー。現在に至るまで世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分は演歌)と言われ舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。
1965年、島倉千代子らのパトロンだった中山幸市(太平住宅創業者)の出資による太平音響株式会社の設立に加わり専務取締役となる。1968年にはレーベル名のミノルフォンを社名にも転用し、形式上の社長に就任した。自前のプレス工場を持たず制作とプロモーションに特化して、アーティスト主導の運営を打ち出した新業態レコード会社の嚆矢の一社だったが、 1972年に徳間康快(徳間書店)に買収され、さらに系列レーベルの別会社ジャパンレコードと合併して徳間ジャパン(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)に改組。
2003年には、歌謡界から初めて文化功労者に選出された。
2008年、急性心筋梗塞のため76歳で逝去。
2008年12月19日、日本国政府は遠藤実に対し、数々の楽曲で大衆音楽発展に尽くした彼の功績を讃え正四位に叙し、旭日重光章を授与することを決めた。更に2009年、国民栄誉賞を授与することを正式決定した。(国民栄誉賞の受賞は陸上選手の高橋尚子以来8年ぶり16人目の受賞で、作曲家では古賀政男、服部良一、吉田正に次いで4人目の受賞者であった。)
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