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ページ (ISBN : 4820595105) ¥ 円 大正・昭和時代に活躍した小説家。第4回日本女流文学者賞を受賞した「吉屋 信子」の自伝エッセイ。
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父は下都賀郡長をつとめた人物であるが、頑固な男尊女卑的な考え方をもっており、信子は内心反発を感じていたという。
栃木高等女学校(現栃木県立栃木女子高等学校)に入学した際、新渡戸稲造の「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければ困る。 教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。」という演説に感銘を受け、そのころから少女雑誌に短歌や物語の投稿をはじめる。
その後、日光小学校の代用教員になるが文学への道を捨てがたく、卒業後上京、作家を志し、1916年(大正5年)から『少女画報』誌に連載した『花物語』で人気作家となる。その後、『大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選した『地の果まで』で小説家としてデビュー。徳田秋声らに認められ厚い待遇を受ける。
1952年には『安宅家の人々』『鬼火』で第4回日本女流文学者賞を受賞。
文学界に広く認められる。
1973年、結腸癌のため77歳で死去。
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