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ページ (ISBN : 4847015959) ¥ 円 WBA世界Jr.フライ級王者を13度防衛した沖縄初の世界チャンピオン「具志堅用高」の爆笑語録。
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石垣島の中学卒業後、沖縄本島に渡り、興南高校に入学。
3年時、インターハイモスキート級で優勝。高校卒業後上京し、拓殖大学の体育推薦入試に合格していたが、入学を辞退し、協栄ボクシングジムに入門する。
1974年、プロデビュー。
わずか9戦目で世界初挑戦。"リトル・フォアマン"の異名を持つWBA世界ジュニアフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に挑み、沖縄県出身者初の世界王者が誕生した。
試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。
1979年、8度目の防衛戦を7回KOで勝つ。1977年10月の3度目の防衛戦から6連続KO防衛であり、世界王座6連続KO防衛は日本人世界王者では具志堅しか達成していない。
1981年、14度目の防衛戦で地元沖縄での凱旋試合が実現し、前回の防衛戦で対戦したペドロ・フローレス(メキシコ)と再戦。12回、挑戦者の右ストレートをまともに浴びてダウン。立ち上がり試合続行に応じたが、挑戦者の追撃に襲われる。ここでセコンドからタオルが投入され世界王座陥落。この試合を最後に現役を引退した。
引退後は解説者として活躍する一方、芸能界でのタレント活動にも参加。1994年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。現在は同ジムの会長として後進育成に力を入れ、元日本スーパーフライ級王者の名護明彦、元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣らを育てている。
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